長いプロフィール(こどものころ~学生時代)

さいきん、
なんで今の仕事をするようになったの?とか
こどものころどんなだった?と
聞かれる機会がすごく多くなってきました(なんでだろう?)


だいたい話すことはいつもおなじなので、
ここに長々と書いてみようとおもいます。



ちょっと長くなるんだけど、
いま、やっていることの原点が
ちいさいころから繋がっているので、
順番にかいてみます。




ぼくは、
1975ねん神戸の六甲でうまれました。


うちから徒歩1分の幼稚園に通っていたのですが、
いつもいつも遅刻していました。
(ポンキッキを最後までみると始業に間に合わない。)


いつも小さなボールを持ち歩いて
ボール遊びするのが好きなこどもでした。



小学校に、はいってからも
休みじかんや放課後は
バスケやサッカーなど
ボール遊びばかりしていたように思います。




中学校にはいってからは、
バスケ部に入って、
毎日毎日休みなく練習をしていました。


そんな、
ある日の練習試合で、おおきなケガをしました。


自宅から、
ふだんの足なら15分くらいの試合会場だったんだけど、

チームメイトに肩をかりて、1時間以上かけて帰りました。

(いま、
かんがえるとありえないことなんだけど、
このときは仕方ないとおもっていました。

後のトレーナー活動に繋がる経験だったとおもいます。)


だいすきなバスケができなくて、
とてもつらいし、

まともに歩けずに、
ふつうの生活も、とても大変な思いをしました。




高校に入ってからはラグビー部に入りました。
高校時代にも、なんどもケガを繰り返して、

試合で思うようなうごきができなかったり、
あるくのも大変なことがよくありました。

(いまなら、
なにがよくなかったのか、
どうしたらよかったのか、
わかるんだけど、

このころは安静にして、
回復をまつことしか知りませんでした。)



高校時代はとくにケガが多くて、
たいへんだったんだけど、
このころから、我流ではあるけれど、

トレーニングしてみたり、
ストレッチしてみたり、
じぶんの体で、いろいろ実験する習慣がつきました。


いろいろ試すなかで、
ケガが減ってきたうえに、
前よりもからだのつかい方がうまくなって、
プレーの質があがることも多く、

『じぶんのからだって、
じぶんで変えることができるんだな。』

と、思うようになりました。



大学では、アメリカンフットボール部に入りました。
(競技としては飽きっぽいんだけど、球技くくりですね。)

ラグビーもアメフトも体が大きいほうが有利といわれて、
必死で体重を増やしていたのですが、

これも、
自分なりにいろいろ試すのがたのしくて、
体重は高校入学時74kg→大学入学時78kg→大学卒業時85kgと増え、
人生の中で、いちばん見た目で変化した時期でした。
(85kg→72kgを経験するんだけど、それはまた後で。)



ぼくが、
『じぶんのからだは、じぶんで変えられる』
と、かんがえるようになったのは、
この学生のころの経験からかなあ、とおもいます。


この考え方が少しジャマになった、
時期もあるんだけど、
基本的には、いまでも、
変わらないかんがえ方です。


このあと、社会人になって、
はたらく場所とか、はたらき方、つかう資格は変えてきたけど、
いつも、つぎに進むときに、立ち返るところかなあとおもいます。


すこし、長くなったので、
社会人からは、またあらためて書いてみますね。


この記事へのコメント